科学家のテラス 1
Reflections from an Amateur Scientist 1

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

▼そもそも科学家とは……
連載は、「テーマ選び」が命ではないだろうか。広すぎても狭すぎても、あとあと具合が悪い。あれこれ悩んで、結局この題に辿り着いた。少々長くなるが、まずはこの言葉に出会うまでの個人的な物語に、おつきあい願いたい—などと書けば自伝めくけれど、そんなのは最初の2、3回だけである。ご安心を。

とにかく始めよう、そう、「科学家」というこの妙な言葉を思いついたのは、もう20年も前のことなのだ。1990年、私はバイテク★1、特にコンピュータ・シミュレーションでタンパク質等の機能や構造を明らかにする研究をしていた。最近では「バイオインフォマティク(bioinformatics)」などと呼ばれる分野の、黎明期であった。

まあ所詮は大学の学部レベルだから、ほんの「さわり」をやったにすぎない。けれど、私はワンボード・マイコン★2の時代からのコンピュータ・フリークだったこともあり、分子生物学をデジタルに探求していくという、この始まったばかりの領域は、私にはとてもエキサイティングで、眩しく見えた。

特に私をアゲさせたのは、研究室に導入されたシリコン・グラフィックス(SGI)社のワークステーション「アイリス(IRIS)」であった。

そもそも当時のAT互換機★3のOSは「MS-DOS」が普通であって、「Windows3.0」は発売されてはいたが、しょっちゅうフリーズするなど使いにくかった。記憶装置も5インチのふにゃふにゃのフロッピー、だから電源を切れば全部データが消え、立ち上げるたびにOSからロードしなければならない。まあそれでも「TK-80★4」の時代からすれば、長足の進歩であったのだが。

ところが驚くべきことに、アイリスの記憶装置は「ハードディスク」であり、OSはマルチタスク★5の「UNIX」、さらに画像処理計算専用のハードウェア「グラフィックス・チップ」を積んでいたから、リアルなDNA画像を3Dでグルングルン回すこともできた。今ではどれも、並のPCのスペックだが、当時の私にとっては、もう夢のような環境であったのである。

ちなみに、SGIの創業者ジム・クラークは、後に一世を風靡するネットスケープコミュニケーションズ社を立ち上げることになる。そう、これはインターネットが世界を変える前の話だ。つくづく、90年代の情報化の奔流は凄かったと思う。本当にワクワクしたのは、2000年くらいまでだっただろうか。

……というわけで「科学家」の謎解きの「前座」に入ったところで今回は、タイムアップ。申し訳ございません。宜しければ、次回もお楽しみに。(つづく)

Endnote:
★1 バイオテクノロジー(bio technology)の略で、「生命現象に基づいた技術」のこと。広義には、発酵食品を作り始めた数千年前から人類はこれを活用していたことになる。現代的な意味としては、遺伝子組み換え技術などを利用した、創薬などによる疾病対策、農業への応用、さらにはプラスチックなどの素材や新エネルギーの開発などを実現するための技術のことを指す。

★2 1枚の基盤に、マイクロプロセッサやメモリー、I/Oなどのチップと、16進キーボードや7セグメントLEDなどの入出力装置を載せた、マイクロ・コンピュータ(マイコン)のこと。元々は、工場などでの制御用に開発されたLSIを用いた、技術者のトレーニング用のキットであったが、一般の人々の注目も集めるようになり、いわゆるマイコン・ブームが起きた。日本では1976年に日本電気が発売した「TK-80」が有名。

★3 IBMは、1980年代初頭から、いくつかの種類のパソコンを開発・販売していたが、仕様を公開するオープンアーキテクチャ方式を採用していた。そのため、他のメーカーが同等の性能を持つ「互換機」を開発することが可能になった。特に1984年に発売した”Personal Computer for Advanced Technologies 5170”は、DELLやCompaqが多くの互換機を作り、大きな市場を作った。これを、PC/AT互換機、あるいはAT互換機と呼ぶ。現代のインテル 系のCPUを使ったパソコンのルーツである。

★4  ★2の「ワンボード・マイコン」を参照のこと。TKは「Training Kit」の意味。

★5  同時に多くの仕事をこなすことができること。コンピュータの世界では、複数のアプリケーションを同時に扱うことができる機能を意味する。CPUが1つしかないマシンでは、厳密に言えば同時に1つの処理しかできないが、タイムシェアリングの仕組みによって高速に仕事を切り替えることにより、事実上、同時に多くの仕事をこなすことができるようになっている。