愛と含羞の深夜ラジオ
Love and Literacy of Midnight Radio Listeners

高橋聡太 Sota Takahashi

そわそわしながらAMラジオのスイッチを入れる。すぐに時報が深夜1時を知らせ、パーソナリティのタイトルコールとともにトーク番組が始まった。最も楽しみにしているつかみのおしゃべりも今回ばかりは上の空に聞こえ、番組が着々と進行するにつれて緊張が募っていく。なにしろこの放送では数日前に投稿した自分のエピソードが読まれるかもしれないのだ。もちろん箸にも棒にもひっかからずに肩を落とすことも多いが、パーソナリティの痛快な話芸により自分の言葉が血肉を得る瞬間の興奮は、他の何にもかえがたいものだ。この緊張があるからこそ、日本の深夜ラジオはマイナーながらも根強い支持を得てきた。

TBSラジオで火曜深夜1時から放送されている『爆笑問題カーボーイ』はその一例である。1997年の放送開始以来さまざまな名物企画を生み出し、AM各局の数あるトーク・バラエティのなかで最も投稿コーナーに定評がある番組として親しまれている。この番組の2014年4月29日の放送分で、ちょっとした事件が起きた。あるリスナーがネット上にアーカイヴした過去の投稿の一部が、そのまま番組内で再び採用されてしまったのだ。サイトの管理者によると、それ以前からアーカイヴされた古い投稿が番組で読まれており、引用元を確かめるために管理者がネタのダミーを新たに考案して紛れ込ませたところ、それがそっくり番組内で読まれて盗用を確信したという。

この些細な一件は、現代のメディアによって組み替えられた、古くて新しい深夜ラジオ文化の重層性を端的に示している。主な投稿手段が郵便だった時代は過ぎ去り、常連リスナーは今なお「ハガキ職人」と呼ばれてはいるものの、その大半が電子メールでネタを送っている。また、つい数時間前の放送をデジタル録音したものが、数十年前のカセットテープから変換された音源と並んでYouTubeなどにアップされており、ラジオの参照体系も様変わりした。こうした状況下で、古いネタのコピー&ペーストが起こるのは必然と言えなくもない。それと同時に膨大なアーカイヴを渉猟して引用元を確認する方法が発達し、剽窃を可視化することも容易になった。

ただし、「コピペ」によってルール違反を犯す人々の動機自体は、とりたてて新しいものではないことも強調しておくべきだろう。SNS上で「いいね!」や「RT」の数が積み重なる快感だけを求めて、参照元を明記せずに剽窃を繰り返す感覚は、デジタル時代特有のものとして安易に括られがちである。しかし、又聞きしたエピソードを「友だちから聞いた話なんだけど」と典拠を曖昧にして披露した前科は誰にだってあるはずだ(たびたび引っ張り出される「友だち」は、有史以来最も被引用度の高い「原著者」かもしれない)。出処が他者であろうと、自分の口をついた言葉が波及していく経験は蠱惑的なものだ。典拠なきコピペはその際に「自分こそが作者である」という錯覚を起こすための手段にすぎないのかもしれない。

だが、結局のところ剽窃はインスタントな快楽をもたらすことはあっても、深夜ラジオならではの得も言われぬ感慨を生むことはないだろう。なぜなら、そこには何の恥じらいもないからである。深夜ラジオの本質は、あきれるほどくだらないギャグや、ふだん周囲の人々に話せないような私的すぎる体験談を、パーソナリティと他のリスナーに委ねる信頼関係にある。おのれを晒す覚悟もなく、借りてきた言葉がただ読まれたか読まれないかで一喜一憂する剽窃者とは次元が違うのだ。他にはけ口のない含羞や自意識の受け皿となっているがゆえに投稿文化は今も生き続けているのであり、読まれたかどうかはあくまで結果の一つでしかない。だからこそ、深夜ラジオのリスナーは今夜も祈るようにして自分のラジオネームが呼ばれるのを待ち続ける。