科学家のテラス 3
Reflections from an Amateur Scientist 3

神里達博 Tatsuhiro Kamisato

▼ 研究生活の困難は思わぬところに……
とりわけ、ウェットとドライで差が大きかったのは、その“スタイル”である。

前者は、とにかく慣れと経験がものを言う。試薬の調整の仕方、投入するタイミング、また操作のどこに神経を使うべきか、そういったノウハウは実験のタイプによって少しずつ異なるから、文献では伝わりにくい。従って先輩について「修行★1」するしかない。手先の器用さも非常に重要だ。つまり、これは「料理」に似ている。同じレシピでも、私がやったらうまくいかないのに、腕の良いシェフが作ると「別のもの」になる──あれと同じだ★2。

また、装置を共有することも多いから、研究チーム内の「協調性★3」も求められる。一緒にいる時間も長く、昼食も集団で食べに行く。器具を毎日、丁寧に洗う★4といった地味な作業も、バイオの実験では「みんなの結果」に影響する。ウェット・ラボは「そういう世界」であった。

対してドライ・ラボにおけるシミュレーションは、理論とアルゴリズム★5がすべてである。より「現実」に近い物理的あるいは化学的モデルをコンピュータの中に組み立てること、またその計算においてよりキレイで本質的なコードを使うことが大切だ。そこでは特に、「枝葉をそぎ落とす発想」が求められる。というのも、ハードウェアのリソース★6をどれだけ節約できるかが、しばしば大きな意味を持ったからである。要するに、「スマートに考える」ということが最も重要であるような、ある種、芸術的な世界であった。だからこちらのチームは、週1回のミーティング以外は、個人的に研究を進めるのが基本であった。ウェットとは違い、「学校に居る時間の長さ」は、あまり重視されない。とにかく結果がすべて、であった。

このように、まるで違う2つのチームを統合していたのは、教授だけであった。天才肌の彼の頭の中には、ドライとウェットを有機的に結びつけ、画期的な研究成果を生み出すための青写真が描かれていたに違いない。きっと教授自身は、研究室のメンバー一人ひとりが両方のスタイルで研究することを望んでいただろう。だが実際には、ほぼ「分業体制」であった。新入りの私は、例外的な存在であったのだ。

だがさきほど述べたとおり、両者はさまざまな意味で仕事の仕方が違うし、価値基準も違う。苦労のタイプも頭の使い方も違う。もし、多くのメンバーが両方の経験をしながら研究を進めていたならば、互いの苦労を理解できるから、さほど問題にはならなかっただろう。しかし、そういう媒介的な人間は、ほとんどいなかった。

その結果、私は両チームの間に存在する「スタイル」の違いに基づく、さまざまな緊張感の「板挟み」になってしまった。その原因は何よりも私の未熟さに原因がある。当然だ。だから──正直に言えば──、それはとても気を遣う日々だった。そうやって、当初は、新しい分野に挑戦する興奮に満ちていた私の研究生活は、急速に色褪せていき、どんよりと不機嫌なものになっていったのである。(つづく)

Endnote:
1 主として仏教において、精神を鍛えること。単に「行」ということもある。この頃はまだこの言葉は「ニュートラル」だったが、数年後の「事件」によって極めて甚大なスティグマを帯びることになる。

★2 2014年の日本の科学界を揺るがした「事件」においても再現実験に手間がかかったが、一般にバイオ系の研究は再現性が低いことが多く、その原因は、このような非言語的とでもいうべき「スキル」の問題も大きい。実は「再現性」という言葉の持つ実存的な意味は、科学の分野によって大きく異なる、と考えたほうがよい。このあたりの「相場観」は、なかなか言語だけでは伝えづらいところがある。

★3 一般に、狭い島国で生きていくうえで、最も重要とされる性質のこと。

★4 私はこの短い経験を通じて、「コップを洗う能力」を劇的に高めることに成功した。

★5 具体的な問題を解くための手順のこと。算法。9世紀に中東で活躍した数学者・天文学者のアル・フワーリズミーの名にちなむ。世界で最も古いアルゴリズムとしては、最大公約数を求めるための「ユークリッドの互除法」が有名である。かつては数学のなかでもマイナーな存在であったが、コンピュータが実用化されて以降は、非常に重要な分野に発展した。

★6 コンピュータに仕事を行わせるための、メモリーの量やCPUの速度、外部記憶装置の容量のなどのこと。昔のコンピュータは、計算速度が遅く、記憶容量もきわめて貧弱だったため、今からみると「超人的に」効率の良いプログラムを書くことが求められた。貧弱な環境に高度の機能を押し込めるべく、アセンブラ、いやハンド・アセンブラでプログラムを書くことも普通であったのだ。