戦争の記憶が波うつところ
At the Shore of Collective Oblivion
2014年8月15日、池袋駅北口の一画にある名画座の新文芸坐は、金曜の午前中から満員の観客で賑わっていた。太平洋戦争の終結から69年を数えるこの日の上映作品は、南方戦線での極限状態を題材にした戦争映画の2本立てだ。そのうちの一本として上映されたのが、深作欣二監督『軍旗はためく下に』(1972年)である。映画が始まると、銀幕上には終戦から約四半世紀を経た1970年前後の終戦記念日の式典で英霊たちを弔う昭和天皇の姿が投射され、時を隔てた2014年のこの日にもつつがなく繰り返されるはずのセレモニーの様子を想像し、眼前のスクリーンに重ねる。
本作の物語は、太平洋戦争で命を落とした一兵卒の死をめぐって展開する。主人公の女性は、終戦後に届いた一葉の郵便に、夫が戦地で没したことを知らされる。そこには死因や命日が記されておらず、さらに「戦死」の文字を消した傍らに「死亡」と不自然に書き殴られていた。これは、彼女の夫が敵前逃亡や上官殺害のかどで軍法会議にかけられ、刑死したことを意味している。犯罪者である彼らは戦没者として扱われることもなく、遺族は戦後しばらく国からの援助を受けることもできなかった。軍法会議の内容は不透明で、遺された人々は肉親がどのような理由で罰せられたのかを知らぬまま屈辱的な仕打ちを受けていた。
妻は毎年8月15日に厚生省に赴き、夫がどのような罪で刑に処されたのかを調査をするよう嘆願し続けるが、やがて官庁は調査を打ち切ってしまう。それでも納得しかねた彼女は、かつて夫と同じ部隊に所属していた復員者たちのもとを自ら探偵のように訪ね歩き、貧民街で浮浪者同前の暮らしを送る者、復員後に劣悪なアルコールに溺れて失明した按摩師、隠居して悠々自適の生活を送る将校など、様々な立場に置かれた人々から戦地の様子を少しずつ聞き出していく。劇中では、1970年代の日本を舞台にしたカラー撮影の調査パートと、終戦を間近に控える1945年の戦地を描いたモノクロ撮影の回想パートが交互に繰り返され、ドキュメンタリーの制作過程に密着したかのような臨場感で様々な経験が語られる。
そこでつまびらかにされる真相は生半可なものではない。むしろ彼女が聞き取りを重ねるごとに、故人の死をとりまく謎はいっそう深まってしまう。ある人物が雄弁に語った思い出は、寡黙な話者のふとした言葉のほころびによってくつがえされ、戦地での夫の行動や人物像は証言者によってことごとく食い違っていく。なかには心の傷を隠すために虚偽を述べるものや、インタビューを受けた直後に怪死を遂げるものまで現れ、平穏な現在に上書きされた暗澹たる過去の深みへと潜るための手がかりは、みるみると失われていく。本作が最も強く訴えるのは、こうした戦争を記憶し語ることの絶望的なまでの困難にほかならない。
頼りない言葉の断片からおぼろげに浮かび上がってくる唯一の共通点は、軍法会議にかけられた人々のうちには、自らの命を守るためやむなく軍規に背いた者も含まれていたということである。映画の終盤では、傷病兵に無理な労働を強制して死に至らしめた士官を、共謀して殺害した人々のエピソードが語られる。そこで義憤に駆られて決起した人物こそ、彼女の亡き夫だったというのだ。その罪は終戦後に密告され、すでに陸軍刑法は形骸化していたにもかかわらず、彼らは戦地にて死刑の判決を受ける。浜辺で刑が執行される直前、日本の方角を確かめて遠く海の向こうを見据えた夫が天皇陛下の名を叫ぶシーンの余韻は、映画の終盤で歪んだエレクトリック・ギターによって奏でられる〈君が代〉の残響とともに、脳裏に焼き付いてはなれない。
特定の事件や思想をとりあげるのではなく、戦争の記憶がいかに葬られていくのかを克明に示した稀有な作品である『軍旗はためく下に』が、新文芸坐で毎年8月に上映される意義は大きい。古今東西の映画を2本立てで上映する名画座は、それ自体が今や失われつつある文化だ。しかし、本作のようにDVD化もされていない作品をしかるべき日に上映し、さまざまな人々とともに鑑賞する経験を与えてくれる名画座の力は、これからも必要とされるだろう。帰途、今なお闇市由来のいかがわしい雰囲気を残す池袋駅北口の雑踏を抜けると、巣鴨拘置所の跡地に墓石のごとくそびえるサンシャインシティのビルが町を見下ろしていた。