本屋さんの面妖な抵抗
An Extraordinary Resistance of a Local Bookstore

高橋聡太 Sota Takahashi

窓ガラスの遠く向こうで花火があがり、こちら側のうすぐらい空間を色とりどりに照らしては消えていく。部屋のなかでは髪の長い女性がギターとピアノを静かに弾き語っており、きらめきから一呼吸おいて響く炸裂音が、ときおり歌声に割りこんだ。遠景の賑やかな花火大会と近景の小さな演奏会の不思議なとりあわせに、自分がどこにいるのかを忘れそうになる。さらに奇妙なことに、そこは音響設備の整ったライヴハウスやクラブではなく、北関東の小さな町にある本屋さんだった。

品揃えの豊富な大型書店でも、掘り出しものが見つかる古書店でも、ちょっとおしゃれなセレクトショップでもない、ごく身近な「本屋さん」は今や絶滅の危機に瀕している。花屋さんやパン屋さんのように思わず敬称を付けて呼びたくなるそれは、どんな町の商店街にもあって、店先に設置された緑色のラックに児童向け学年誌の最新号が並び、母から雑誌のおつかいを頼まれたついでにお駄賃でマンガを一冊買いに行くような店である。その特徴をあらわすのにこうして懐古的な例に頼らざるをえないように、書籍流通のほとんどが大型書店やネット通販に代替されてしまった今、少なくとも自分にとって本屋さんの思い出はそれなりに遠い過去に属するものだ。

栃木県鹿沼市の旧街道沿いにあるブックマート興文堂も、一見して典型的な本屋さんである。書棚にはごく普通の雑誌や教材が並び、立ち寄るお客さんの大半も近所の人々だ。しかし、ひとたび店内をめぐれば、ただならぬこだわりが感じられる。店主の高橋朝さんは、1980年前後から即興演奏を主軸とした活動を続けている鹿沼出身の奇才であり、その審美眼が店内の随所にじんわりとあらわれているのだ。文学作品や芸術系のコーナーは、決して大きくないものの「こんな本が出ていたのか」と思わず手がのびるタイトルが厳選されている。レジの近辺には、売れ線の新刊本にまぎれて、多分野から選ばれた推薦本がコアな音盤とともに並び、つい足をとめて見入ってしまう。

さらに、高橋さんは2015年春に店舗規模の縮小にともなって長年にわたり封鎖されていたフロアを再利用し、フリースペースを開設した。冒頭で描写した演奏会は、毎年5月に開催される鹿沼市の花火大会と同日に、オープン記念イベントとして企画されたものだ。全国でも珍しい初夏の花火を見に集まった観光客で町が賑わうこの日、興文堂では十数人の観客が粛々と演奏に耳を傾けていた。地域の人々が制作した絵画やオブジェが並ぶこの面妖な空間は、その後も近隣の高校生のバンド練習や、現代詩の朗読会、即興音楽のイベントなどに幅広く利用されている。鹿沼のとなり町で育ち、文化的なものに焦がれて砂漠を出るように上京した自分にとって、身近な地域にこれほどの濃密な本と人が集まる空間があることは、かなりの衝撃だった。

かつて鹿沼市近辺にあった本屋さんはほとんど閉店し、数少ない生き残りである興文堂の経営状態も決して楽観できない状態だという。しかし、一般的な本の購入手段がマスな手段に置き換えられた今、全国に点在する本屋さんが、長年つちかった各店の人脈や地域特性に活路を見いだして状況に一矢報いようとするのであれば、そのポテンシャルはまだまだ測り知れない。あなたの町の本屋さんからも、きっと予期せぬ知脈が広がっているはずだ。
ちなみに、興文堂の最寄り駅である新鹿沼には、浅草駅から東武線に乗って2時間ほどでたどり着ける。ぜひ足を運んでいただきたい。