科学家のテラス 8
Reflections from an Amateur Scientist 8
▼タツ! 元気ですか#&U¥$d%……
アルメニア人でモスクワ大学出身の生物物理学者、Aさんの求めに応じ、「秋葉原ツアー」を敢行したことで、私とAさんの関係は変わった。
まず彼は、私を見つけると笑顔で近づいてきて、あーだこーだと話をしてくるようになった。それまでも、同じ「ドライ・ラボ」のメンバーなのだから、会えば挨拶くらいはしていたし、土曜日のコロキウムでは、一応、研究上の議論もやっていたのだが、明らかにフェイズが変わった。たとえば彼はこんなことを言ってくる。
「タツ! 元気ですか。私は、白金の寮は#&U¥$d%★1のために、住み続けることができなくなりました。困りました。だから引っ越します。でも、もちろん%&#‘*+&%#$なので、色々な場所で部屋を探しています。しかし東京は広いから*4&D%ですから、大変なんですよ。何よりも私は外国人、部屋を貸してくれる人が少ない。それで私は教授にお願いして、&%$ヶwぶD……」(訳・神里)
一言で「英会話力★2」といっても、色々な方向性がある。研究会で話される言葉は、日常会話に比べると、厳密さが要されるものの、使われる文法や語彙のスペクトル★3はむしろ狭い。しかし、外国人と「世間話をする」というのはかなり、大変だ。共通基盤が少ないので、サウンドを聞き逃したとき、語られている内容を推測するのが難しいからだ。その結果、上記の「#&U¥$d%」などが会話に挿入されてしまう。そういう意味では専門的な議論の方がラクなんだなと私は初めて気づいた。
それにしても、英語が堪能な人は沢山いたはずだが、なぜ私が彼とよく話をするようになったのか。「秋葉原ツアー」という契機があったにしても、不思議と言えば不思議である。そうやって今、考えてみると、私も彼も、孤独だったのだと気づく。私はウェット・ラボをクビになって、ドライ・ラボに来たが、すでに述べたように★4そこは人間関係も比較的ドライであった。彼も、異国の地に半ば亡命者のようにやってきて、しかも必ずしも研究室の方向性と彼の専門は一致していなかったので、あまり話し相手がいなかった。要するに私と彼は、「みそっかす」同士だったのだ。
私は、彼の故郷についても尋ねてみた。正直、「%ヌ&#&」が挟まってしまってよく分からなかった。それでも、実家のそばには湖があって、父親は釣りばかりしていることぐらいは分かった。そして母国・アルメニアはとても辛い歴史を背負っており、特にトルコは許せない、と普段はにこやかな彼が、意外なほど興奮して語ったのをよく覚えている。私は気になって図書館に行き、アルメニアのことを少し調べた。すると、自分が欧州の歴史をほとんど知らないことを思い知らされた。「アルメニア人大虐殺(Armenian Genocide)★5」を知ったのは、その時のことだ。
私はある日、思い切って彼に提案した。なんでそんなことを言ったのか、今は正直よく覚えていない。しかし確かに私はこんなことを彼に言った。「今度、私の友達と、食事に行かない? アルメニアの宿敵、トルコを丸ごと食べてしまう”トルコ料理”、なんてどう?」 一瞬、彼の眼がキラッと光り、そして一呼吸、間をおいて、彼は口を開いた。(つづく)
Endnote:
★1 コンピュータでテキストを扱っていると、「文字化け」という現象に見舞われることがある。漢字コードの不一致などが原因であることが多いが、その際に現れるデタラメな文字列を、一般の文書のなかに組み入れて使うことで、「ちんぷんかんぷん」を表現する技法が最近、見られるようになった。ここで使っている「#&U¥$d%」という文字列もそういう趣旨であって、「シャープアンドU、円ドルdパーセント」という意味ではない。
★2 現代日本における「英会話」は非常に不思議な存在である。グローバル化が叫ばれ、国を挙げて「英会話力強化」を推進しようとしているが、ほとんどの人々は国内で英会話が必要になるシーンにはまず出くわさない。それでも皆、英会話学習に投資を惜しまない。理由を聞けば、「外国の人に道を聞かれたときに対応できるように」と答える人も少なくないが、一生で何回そんな場面があるのだろうか。私見であるが、この国には自分と異なる環境で育ち、異なる価値観をもった人間とコミュニケーションをとることに関心をもつ人は、決して多くはない。むしろ「仲間とつるむ」ことに快感をもつ、ローカルなマインドの人が多数派だろう。もちろん、どこの国でも普通の人はローカルに生きるものだとも思う。ただ、強調しておきたいのは、外国人とは「他者」の典型であるということだ。言葉が通じる相手であっても、自分と異なるグループに属す「他者」に対する関心の薄い多くの日本人の皆さんが、何のために英会話を学ぼうとするのか。その特異な心情を外国人に説明することは、私のつたない英会話能力では不可能である。
★3 英語では”spectrum”と綴り、元々は幻影や幽霊(specter)を意味したが、ニュートンが「光学」において、プリズムによって生じる、連続的に色彩が変化しながら分布する光の帯をそう呼んだ。現在では光に限らず、なんらかの量が一定の幅をもって分布している状態をそう呼んでいる。なお、「スペクトルマン」は1971年から72年にかけてフジテレビ系列で放映されていた特撮ヒーローものの主人公の名前である。放送開始当初の番組名は、なんと敵の名称である『宇宙猿人ゴリ』であったが、途中で『宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン』になり、最後は『スペクトルマン』に落ち着いた。
★4 「科学家のテラス3」、「同5」などを参照のこと。
★5 第一次世界大戦の最中であった1915年4月、オスマン・トルコ政府によって組織的に行われたとされる、アルメニア人の大量殺害事件。2015年4月24日には、100周年のセレモニーが大規模に行われた。被害者の数は諸説あるが、一説には150万人が犠牲になったとされる。現在も、当該地域の不安定と呼応しつつ、歴史認識の問題として火種はくすぶっている。たとえば、欧州や南米の多くの国や、ロシア、バチカン、そしてEUなどはこの事件を歴史的事実として認めているが、トルコや米国、英国やイスラエルなどは公式に認めていない。詳細は、http://www.huffingtonpost.jp/2015/04/24/armenian-genocide-controversy_n_7140572.htmlや、http://armeniangenocide100.org/en/を参照のこと。