みんなが密かに見る夢:『怪しい彼女』の物語
A Dream We Have in Secret: the Story of Miss Granny
人間最大級の欲望はなんだろう。秦の始皇帝は不死を渇望したし、道士たちは不老不死の仙人を目ざした。太陽に近づきたかったイカロスのように、人間の限界を超えることへの憧れと恐怖は、私たちの無意識に押し込まれながらもしぶとく生き続ける。そして私たちの抑圧された心が夜中の夢に現われるように、不死や永遠の若さ、肉体と分離できる魂に対する人類最大の冒険は、我々の物語や音楽やビジョンの中に描かれ続けている。
恐怖の『ドラキュラ』がいれば、『トワイライト』の永遠の若さを持つエドワードがいる。『インターステラー』のクーパーは宇宙の歪んだ空間を移動したことで過去の自分と遭遇したし、『恋はデジャ・ブ』のフィルは朝起きても前日と同じようにくり返される時間のループの中で、自分自身を変えることで幸せな恋を獲得できた。『奇蹟の輝き』ではクリスが自分の死から帰還し、ときには母と娘の魂が、また男と女の魂が入れ替わる。
ここにきて、おなじみの「若返りシリーズ」に新しい映画が加わった。『あやしい彼女』である。韓国版(日本公開時の邦題は『怪しい彼女』)を原作とする同作は、今まで中国版(『重返20岁』)、ベトナム版(『Em Là Bà Nội Của Anh』)が作られ、このたび日本版の披露となった。このリメイクは、タイ、インドネシア、ドイツ、ハリウッドと続きそうだ。
同じ原作がいくつかの国でリメイクされるのは、この映画がはじめてではない。日本のマンガ『花より男子』が原作の台湾テレビドラマ『流星花園 -Meteor Garden-』は、アジア中で大ヒットした。その後、韓国版と日本版のテレビドラマが次々に製作された。いずれも大人気となり、ファンたちに各国のバージョンを比較しながら観る楽しみを与えた。
今回の『怪しい彼女』は、映像のビジネス的な観点からすると、同じ多国リメイクでも『花より男子』とはすこし異なる流れを持っている。この映画は企画の段階から多国リメイクを視野に入れて出発したのである。多くの国で共感を得られそうな内容を開発し、それぞれの国の文化と観客趣向を適切に反映するというものである。その意味で『怪しい彼女』は、マルチ企画や適切な現地化の最も成功した事例といえる。
『怪しい彼女』における「若返り」は、忘れられ、叶えなられかったことをもう一度求める私たちの夢物語である。今回の『怪しい彼女』は、70代のおばあさんが20歳の自分に戻ることでいろいろなことが起こるという話。人間の原初的な夢を反映する若返りの典型的なストーリーでありながら、この映画が数カ国でリメイクされるほどの人気が出るのはなぜか。どこが面白いのだろうか。
その理由は、なじみのある展開を各国の感性に合うように解釈しているだけではなく、各国女優たちの可愛らしさと演技のうまさ、また家族愛に回帰するストーリーの安心感があるからだと思う。しかしながら、なにより大事なポイントは音楽である。選曲の瞬発力と感性である。テレビのプロデューサーに抜擢された主人公がカメラの前で歌を歌う。彼女の頭に浮かぶのは、愛する人を亡くし、女一人で子供を養っていかなければならなかった厳しい人生であった。彼女の目からは一粒の涙が落ちる。この場面を作るのは、彼女たちが歌う韓国の『白い蝶々(하얀나비)』であり、中国の『微甜的回忆(すこし甘い思い出)』であり、日本の『悲しくてやりきれない』である。
ポストモダン的な状況においてもてはやされるポピュラー・カルチャーは、新しい創作ではなく、リメイクとパロディであると言われる。しかし、「若返りシリーズ」が作り続けられているわけは、大衆文化やメディア的論理だけでは説明しきれない、人間の潜在的欲望がみる夢にあるのではないかと思う。
*『あやしい彼女』(水田伸生監督、2016年)