映画『ムーンライト』:太陽と月と風と水のポエム
Moonlight: A Poem of the Sun, the Moon, Wind, and Water

ペク・ソンス Seongsoo Baeg

「ムーンライト」はアメリカのマイアミに生きるシャロンという主人公の成長物語である。映画は「リトル」というあだ名の子供時代と「シャロン」の青少年時代、成人して「ブラック」と呼ばれる時代の3部構成で、それぞれの時代を3人の俳優が演じている。

映画は、ドラッグディーラーのフアンがスカイブルーの車で自分が管理する地域の売人に会いにくるシーンから始まる。太陽が眩しく街に降り注ぐなか、カメラはフアンの背中を追い、二人のまわりを滑らかに渦巻くようにぐるりぐるりとする。次のシーンは、青いバッグを背負った子供のシャロンがいじめグループから逃げるために走っている。彼の足元はあぶなっかしく、息は上がっている。シャロンの背中を追うカメラも激しく揺れている。

映画のシーンがここまで進んだ時点で、この作品についてアカデミー賞授賞式でのハプニングの話題くらいしか事前情報を持っていなかった私は、電源をオフにされてバックに収められている自分の携帯電話を取り出し、インターネットでこの映画のカメラマンを検索したい強い衝動にかられた。ウォン・カーウァイ作品のクリストファー・ドイルのカメラがみえる。映画を見ている間、ずっとウォン・カーウァイの影がオーバーラップされるのを振り払いながら、私の意識はこの映画のカメラを追った。最初のシーンがある種の成功を収めた大人の自信と穏やかさをもったフアンを表わしたように、次にシャロンの不安と苦痛の内面を写し出したように、この映画でバリー・ジェンキンス監督とジェームズ・ラクストンのカメラは一つ一つの場面を計算し、意味を与えている。

そこにはこの映画を貫く4つの象徴がある。太陽と月と風と水である。映画には、マイアミの貧しいブラック・コミュニティにおける暴力とドラッグのトラブルにさらされ、自身の性的アイデンティティに悩むシャロンにとって、最も幸せで本来の自分になれる場面が3回登場する。

「リトル」の時、シャロンはフアンに連れられ海に行った。そこで洗礼の儀式のように海の水に浸かり、泳ぎを教わり、「ブラックの子供は月の明かりの下で青くみえる」と言われた。お父さんの存在を知らないシャロンが男の大人によって成長への扉の在り処を教えてもらったはじめての機会であった。

「シャロン」の時、月明かりがいっぱいに注ぎ、波が寄せる砂浜で、風にあたると自分らしくなれるというケビンとキスをした。自分のゲイとしての性的アイデンティティと二人の愛を確認する時間であった。そして「ブラック」の時、ケビンと再会した。同じく海と風と月明かりの下で、二人は外面が大きく変わってしまったにもかかわらず、消えずに存在していた愛を確かめることができたのであった。

太陽はシャロンが生きるこの世界であり、その色はブラックとホワイトである。その明るい白の光は人々を曝け出しながらも、ブラックな肌を眩しい美しさに輝かせる。月明かりは青く人の心に沁みる。ときどき黒い肌を突き抜け、彼の顔を、体を青黒く光らせる。外の世界にどう振り回されようと、母の赤い怒りに向けられようと、シャロンの内面の青緑の月は消滅せず存在し続ける。

だからシャロンの大事な3つの場面は白と黒と青で色づき、再生していくための媒介の水が寄せられ、愛と安心のそよ風が吹いているのである。