オレンジ・オルタナティブと街の小人たち
The Orange Alternative and the Dwarfs of Wrocław City

江上賢一郎 Kenichiro Egami

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ブロツワフの旧市街(撮影:江上賢一郎)

今年の2月、ポーランド東部の古都ブロツワフにアーティスト・イン・レジデンスで滞在した。パステルカラーの家々に囲まれた美しい広場(Plac Solny)で有名なこの街は、古くはモンゴル侵攻や300年に及ぶドイツ統治など中央ヨーロッパの複雑な歴史を有している。旧市街を歩いていると、街路や建物の角に小さな小人(ドワーフ)の銅像があちらこちら設置されていることに気づく。道路に寝そべっている小人、酒に酔っ払っている小人、小さなカバンを担いで旅に出ようとする小人など、これらの様々なユーモラスな小人たちは約400体にのぼり、今やこの街の観光シンボルになっている。

この小人たち、実は共産主義下のポーランドで行なわれた人々の抵抗運動に由来している。第二次大戦後、ソビエトの衛星国として共産党一党独裁体制を敷いたポーランドで、1980年以降「ニュー・カルチャー・ムーブメント」と呼ばれる運動が生まれていた。これは一党独裁や検閲に反対する学生や芸術家たちによって組織され、表現や言論の自由を求める若者の声を代弁する文化運動だった。この運動の中心人物に、ワルデマー・フリドリヒ(Waldemar Fydrych)という人物がいる。当時美術史を学ぶ学生で「将軍」というあだ名で呼ばれていた彼は、ブロツワフ大学で学生新聞を発行し、1982年に社会主義的シュルレアリズム宣言という詩を発表した。フランスのシュチュアシオニスト・インターナショナル(Situationist International)に触発されたこの宣言で、彼は権威主義的な体制に対してユーモラスで不条理な抵抗を呼びかけたが、主流の学生運動からは不真面目だと非難を浴びてしまう。そこで彼は1985年に「オレンジ・オルタナティブ(Pomarańczowa Alternatywa)」というグループを設立する。これはユースカルチャー/サブカルチャーを基に様々なハプニング、アクションを行う集団で、1989年までのあいだブロツワフの路上を中心に数多くのデモやパフォーマンスを行なった。

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壁に描かれたドワーフ(撮影:トマス・シコルスキ)

彼らの活動でもっとも有名なものが、厳戒令下の街の壁に小人(ドワーフ)の絵/グラフィティを描くというアクションだ。描かれたのは一見子供が壁に落書きしたようなかわいらしい小人の絵だが、これらはすべて政府批判のスローガンを塗りつぶしたペンキの上にさらに上書きされたものだった。壁に描かれた小人たちは、次第に自由に発言できない市民の代わりに彼らの声や感情を代弁する象徴となっていった。さらに、小人の絵にはユーモラスな体制批判のメッセージが加わり、他の街にも出現するようになっていった。また1988年の「レボリューション・オブ・ドワーフス(Revolution of Dwarfs)」では、オレンジの帽子とジャケットをかぶった小人の格好で街を集団で歩き、市民と一緒になってお祭り騒ぎの行進を行なったり、翌年には「秘密警察の設立を祝う記念マーチ」と称して通りを行進し、警察が行進を止めようとすると、人々が警察に抱きつき、キスしたり、花びらを振りかける路上パフォーマンスを行なったりした。

オレンジ・オルタナティブのこれらのパフォーマンスやアクションは、体制側でもなく、また当時の民主化運動の主流であった「連帯」にも馴染めなかった若者たちをサブカルチャーの手法で惹きつけた。「開かれた路上の公式」と呼ばれた彼らのパフォーマンスの方法論は、政治的な要求やイデオロギーの代わりにユーモアや面白さを前面に押し出し(共産党のスローガンをわざと茶化して言い換えることもしばしばだった)、体制や社会システムの不条理さと仰々しさを笑い飛ばそうとした。一見バカバカしいアクションであっても、検閲や統制に締め付けられてきた人々が外に出て自由に表現や発言をし、自発的に行動ができるように勇気づけること。それが彼らの狙いだった。1989年のポーランドの民主化と同時に彼らの主な活動も終了したが、路上でのゲリラ的表現、市民を巻き込むようなパフォーマンスなど、現代のストリート・アートや2000年代の社会運動の祝祭的性格を先取りしていたといってもいいだろう。

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街にあるドワーフ像(撮影:江上賢一郎)

小人の銅像に話を戻そう。2001年に地元の美術学生によって、「オレンジ・オルタナティブ」のメモリアルとして壁に描かれていた小人を模した銅像が建てられ、以来新しい銅像が次々と街に出現していった。ブロツワフ市政による観光化の波を受け、小人の像の元々の歴史的な意味は背景に追いやられてしまったが、オレンジ・オルタナティブの活動は、検閲や密告によって自由な言論や表現が制限されていた時代に、ファンタジーとユーモアをもって路上でパフォーマンスを行った若者たちの芸術/政治運動であり、共産主義圏におけるシュチュアシオニスト的精神の一つの発露であった。

*オレンジ・オルタナティブ
http://www.orangealternativemuseum.pl/#lodz-2

*オレンジ・オルタナティブの当時の活動記録映像
https://www.youtube.com/watch?v=1DTrc_bYFaE